遠い山なみの光

「遠い山なみの光」カズオ・イシグロ 小野寺健訳(ハヤカワepi文庫2001年)

 物語は唐突にはじまり、おそらくイギリス人男性と再婚した日本人女性の悦子がまだ若い頃、終戦後の長崎に住んでいて、そこで交流していた佐知子と娘の万里子、最初の夫の二郎と義父の緒方さん、うどん屋で働く藤原さんに息子の和夫たちのことを回想する。

 最初の娘は二郎との間にできた子供で、景子と名づけられてイギリスの下宿で首つり自殺。その後、悦子は再婚し、その夫との間にできた娘の名はニキで、ニキが悦子の家に滞在している間にいろいろ回想。

 アメリカ人の頼りない酔いどれと関係をもち、アメリカへの移住を期待する勝手気ままな佐知子。佐知子は英語が堪能で、その語学力を悦子に自然と魅せつける。

 悦子がイギリス人男性と結婚してニキを出産してしばらくした状況というのが、まさに佐知子の希望していた結果になっており、いろいろと考えさせられる。

 細かい部分では、戦後間もなくにしては、悦子には収入のしっかりした夫がいて、生活でも困窮を感じさせられることはまったくなく、最初は洋服を着ているのかと思ったほどで、途中で着物という単語が出てこなかったら現代ものと思うほどに、風俗描写などが皆無。

 そのためか、この作品は受け身の主人公の淡々とした心理描写が卓越したものとなって浮き出ていて、物語の空気感というのか、その場を征圧しているかのような感じがして、精緻というのか精緻で精錬されているというのか、静謐なものを感じた。

 唐突に物語が終わるのは純文学として構えていたのでそれほどあっけなさは感じなかった、といえば嘘になるか。言葉のみで、登場しない景子やイギリス人の夫など、不要な描写を最小限にそぎ落としている。

 悦子の詳細な生い立ちなど、読者の想像に任せる部分が多いけど、そこをどう読み解くのかというのが純文学らしさでもある。読みながら、「窓ぎわのトットちゃん」とか「水曜の朝、午前三時」などを連想した。