あのとき、大川小学校で何が起きたのか

「あのとき、大川小学校で何が起きたのか」池上正樹・文 加藤順子・文と写真(2012年青志社)

 東日本大震災で発生した津波によって、大川小学校の児童の74人が死亡行方不明で4人が生存。教職員は10名が死亡で1人が生存。

 津波発生から50分間もどうして学校のグラウンドにとどまり続けたのか。子供を亡くした遺族たちは詳しい事情を知ろうとして何度となく市教委との話し合いをおこなうものの、出てくる解答ははっきりしないものばかりで、まるでなにかを隠蔽しているかのような責任逃れの発言ばかりという事実がつづられている。

 唯一の生存した教職員は1回だけ顔を出しただけで、しかもそのときは机に突っ伏したままという状態で、その後は体調不良で欠席で当日の事情を知るすべがまるでない。

 学校と隣接している裏山に避難したいと児童らが何度も先生に進言していて、それをなぜ却下したのかとか、どうして海の方角に避難したのかとか不可解な行動をとっているのが謎とされているけれど、うーん。