火車

「火車」宮部みゆき カバー装画・藤田新策(新潮文庫1992年)

 足に銃弾をうけて休職中でリハビリ中の刑事・本間俊介のもとに、失踪した婚約者を捜索してほしいと栗坂和也がたずねてくる。その婚約者の関根彰子は和也のすすめでクレジットカードを取得しようとしたが、自己破産の過去があったことがわかると、そのまま失踪したという。

 圧巻。警察の捜査力を使えないから地道な調査をするしかなく、手がかりも四苦八苦しながら考えて見つけ出していく。最初の100ページを読んだところで松本清張の「砂の器」や「ゼロの焦点」に似ていると感じていたら、入れ替わりなどを含めて社会派であることやなにやら共通する部分が多かった。

 クレジットに簡単に手を染めてしまい、いつのまにか支払いに困るようになる流れや、作中で残酷なことをした子供の心境に対して家政夫をしている井坂は、相手の言動ではなくやったことを見ろとの発言など、人間への様々な洞察が含まれている。

 このラストに不満を持っている人がいるけれど、これは既存作品でも多々あるもので、自分としては充分に描写されつくしており、いい余韻だと感じた。

 最後に作中で興味深かった部分を引用


「あの娘がクレジット三昧の暮らしをしたのはね、錯覚のなかに浸かっていられたからよ」
「錯覚?」
「ええ、そう」富美恵は両手のひらをパッと広げた。
「お金もない。学歴もない。とりたてて能力もない。顔だって、それだけで食べていけるほどきれいじゃない。頭もいいわけじゃない。三流以下の会社でしこしこ事務してる。そういう人間が、心の中に、テレビや小説や雑誌で見たり聞いたりするようなリッチな暮らしを思い描くわけですよ。昔はね、夢見てるだけで終わってた。さもなきゃ、なんとしても夢をかなえるぞって頑張った。それで実際に出世した人もいたでしょうし、悪い道へ入って手がうしろに回った人もいたでしょうよ。でも、昔は話が簡単だったのよ。方法はどうあれ、自力で夢をかなえるか、現状で諦めるか。でしょ?」

 ~(略)~

「だけど、今は違うじゃない。夢はかなえることができない。さりとて諦めるのは悔しい。だから、夢がかなったような気分になる。そういう気分にひたる。ね? そのための方法が、今はいろいろあるのよ。彰子の場合は、それがたまたま買物とか旅行とか、お金を使う方向へいっただけ。そこへ、見境なく気軽に貸してくれるクレジットやサラ金があっただけって話」
「ほかにはどんな方法があります?」
 富美恵は笑った。「あたしの知ってる方法としちゃ――そうね、友達に、整形狂いの女がいるわ。もう十回近く顔をなおしてるんじゃないかしら。鉄仮面みたいな完璧な美女になりさえすれば、一〇〇パーセント人生ばら色、幸せになれると思い込んでるの。だけど、実際には、整形したって、それだけで彼女が思ってるような『幸せ』なんか訪れないわけですよ。高学歴高収入でルックス抜群の男が現れて、自分を王女さまのように扱ってくれる。なんてね。だから彼女、何度でも整形を繰り返すわけ。これでもか、これでもかってね。同じような理由で、ダイエット狂いをしてる女もいるわね」

 ~(略)~

 富美恵は続けた。「男にだっていますよ。そういう人。むしろ、女よりも多いんじゃないかしら。必死で勉強していい大学に入って、いい会社に入ろうとするのだって、そうでしょ? 勘違いなのよ。ダイエット狂いの女を笑えませんよ。みんな錯覚を起こしてるのね」